2012年8月20日

島研で幼児化

※この記事は、島研トークショーを元にした将棋素人による超個人的なレポートです(文中敬称略)


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羽生、森内、佐藤、島が横一列、壇上に並んでいる。



若かりしころ、島の呼びかけにより発足した伝説の研究会「島研」のメンバーだ。当時の島は六段、24歳で、本人曰く「行き詰っていた」。まだ奨励会員だった森内、佐藤、そして一足先にプロの場にいた羽生を見て、この若い力についていければ自分も生き残れる、と思ったという。一方誘われた若者たちは、すでに第一線で活躍している島がなぜ自分たちを、と疑問に思ったそうだ。「共通の話題もないが、断る理由もなかった」とは森内の言葉。

かくして断る理由のなかった彼らは週末、集まるようになった――――そして島研はスタートした。


その4人が研究会の解散後、25年ぶりに一同に介し、トークショーを行なう
――――参加資格は小中学生の子供と、その保護者。
この一報が流れたとき、私は自分を呪った。


なぜ自分は子どもでないのか。なぜ私は大人なのか。本当に私は大人なのか。割と子どもなのではなかろうか。あるいは変装で何とかならぬか。腕に点滴針を刺して病院を脱走した体を装いつつ、夏祭りで採った瀕死の金魚を受付の人に見せつけながら、この子と一緒に、さいごの思い出、つくりたい、し、しまけん…………とか言えばあるいは、入れてくれるのではなかろうか。



けれども自分が大人であることに変わりはなく、悲しいかな割と常識もあったりして、とりあえず変装やら過剰演出は諦め、ただ七夕の短冊に「子どもになりたい」と書き願うだけであった。

結局その後、大人でもいいですよと参加資格が上書きされ、短冊への願いは何となく叶えられたのだった。


島研ならではのエピソードが聞きたい!

この4人が揃うなんて!
とにかく見たいんだって!
あらゆる動機が浮かんでは消えるわけもなく、その動機は浮かんでは浮かぶばかりで、けれど結局私は、この4人が並ぶことによって見えるであろう性格の違いというのを肌で感じたいと、強く思ったのだった。


古くから互いを知っている者同士で、今はタイトル戦を闘う者同士が、自分たちの姿を人前にさらすときに見えてくるものが知りたかった。包み隠す必要のない何か、隠し切れない何か、漂ってしまう何か、漂いきれぬ何か、あくまで隠し通そうとする何か、それは一体、何か。




私は凝視した。

壇上の椅子に、羽生、森内、少し間を置いて佐藤、島が座る。
4人の後方には大きなスクリーンが設置され、そこに各々の写真とプロフィールが映し出された。司会進行役の女性がその内容を読み上げる。
「羽生善治、1970年生まれ………」
自分の写真が気になるのか、羽生が後ろを振り返った。と、同時に森内も振り返った。羽生と森内が二人一緒に振り返りながら、誰あろう羽生の写真に見入っている。羽生は一旦、前に向き直ったが、森内はまだ、ひとりスクリーンを見ていた。司会が続ける。
「26歳で七冠王に、永世称号・タイトル獲得数は………」
そのとき、何かを確認するかのように羽生がまた後ろを向いた。後ろを向いたままだった森内と羽生の影が、重なって見えた。森内は、ほとんどずっと、羽生が紹介されている間、羽生のプロフィールを見続けていた。


その後、森内、佐藤、島という順で紹介が続いたが、印象的だったのはその表情だ。羽生はにこやかだが、森内の顔は固い。佐藤はだらんと楽な感じで座っていて、誰かの写真を振り返るということもなく不動、なんだかマイペース。島はそんな3人を見ることもなく、見ていた。



紹介が終わったところで島がマイクを取り、口を開いた。そこで初めて、固かった森内の顔が緩んだ。



私は緩んだ森内の顔を見ながら、次々に映し出されるスクリーンの、その説明文に出てくる漢字の、ルビが、まじやべえ、と思っていた。

羽生善治にも森内俊之にも佐藤康光にも島朗にも、ひらがなでルビが振ってある。しょうれいかいも、しまけんも、けんきゅうかいも、おういも、きせいも、めいじんも、とにかく総ルビだ。


見に来ているのが小さなお子さんから大きなお子さん、とは言え、予想外のルビ攻撃に私は舞い上がった。脳内の小さな自分が「もりうち!しょうぎ!しまけん!」とはしゃいでいるのが分かる。私の幼少期を蘇らせるとは、蘇らせるっていうか将棋を好きになったの最近だから捏造の記憶だけども、それにしても有ること無いこと蘇らせるとは………島研!



私はますます、凝視した。







<つづく>